黒田の野球人生
2016年広島を優勝に導いた黒田
その野球人生は、決してエリート街道でここまできたわけではありませんでした。
高校時代は大阪の強豪・上宮高校でピッチャーをしていました。
当然エースでバリバリやってるのかと想像しますが、そうではありません。
黒田はまさかの3番手ピッチャーでした。最後の夏の大会は1球も投げずに引退したんだそうです。
高校時代はまったくの無名だった黒田はその後、専修大学に進学します。
大学では150kmを記録したもののコントロールが悪く、まだまだ素材型の選手でした。
1996年ドラフト2位で広島カープへ入団。黒田の広島での戦いが始まります。
入団して早々に1軍で投げる機会が多かった黒田ですが、プロでも依然として制球力がなく、
防御率は悪く周りの期待にこたえられている選手ではありませんでした。
そんな黒田が覚醒したのが2003年です。
防御率3.03 12勝8敗の好成績を納めます。完投数は13個
そして2004年は自己最速の157kmを記録するなど選手として成熟し始め、広島のエースとして認められ始めます。
その後2006年に才能が一気に開花。
防御率1.85 13勝6敗の成績を残します。
当時、打者超有利の広島市民球場で防御率1点台を残したというのは驚異的であり、他ファンを含めたプロ野球ファンに鮮烈に印象付けました。
そして2008年、満を持してメジャーリーグ挑戦です。
メジャーでは高い制球力と安定したピッチングで、毎年12,13勝前後くらいのペースで仕事をしています。
派手な成績は残していないものの、アメリカの新聞社が選んだ
「メジャーで最も活躍した日本人選手」
では、イチローに次ぐ第2位の評価を受けています。
これは、メジャーで30本塁打した松井よりも上の順位であり、アメリカ人からもかなり高い評価を受けていることが分かります。
メジャーで好成績を毎年残した黒田は、2014年オフ、広島へ復帰する決意を固めます。
2014年のメジャー成績が防御率3.71 11勝9敗の好成績のため、決して衰えて日本に戻ってきたわけではなく、
バリバリのメジャーリーガーが日本にやってきた
ような感覚です。
日本1年目の黒田は広島のファンを沸かせ、広島の国民的ヒーローになります。
そして1年目の2015年、防御率2.55 11勝8敗の成績を残します。
十分いい成績でしたがこの年のオフに引退を考えていた黒田。
しかし引退しなかったのは、「広島で優勝」という心残りがあったからなのだと推察されます。
そして、2016年
黒田の活躍もあって勢いに乗る広島は圧倒的強さでセ・リーグを制覇しました。
これは黒田の選手としての貢献だけでなく、周りの選手に与える影響も大きかったのではないかと思われます。
黒田博樹の今後の予定は?
引退した黒田、今後はどのような道へ進むのでしょうか?
広島の国民的スターですから、将来的には監督をやって欲しいとファンは思っていると思います。
個人的にはまずは解説で、黒田の喋る姿をもっと見たいなと思っています。
寡黙な仕事人ですので、あまりベラベラ喋っているイメージがないんですよね。
しかし大前提として、NPB13年。MLB7年。計20年の疲れをゆっくり癒して欲しいと思います。
黒田選手、本当にお疲れ様でした。