プロ野球の逸話に、「新人王を取得するとその後大成しない」というものがあります。
あとは、2年目のジンクスとかもありますね。
そこで今回は、歴代新人王をランダムにピックアップし、その後どうなったのか?
ということを検証してみました。
ランダムに抽出した25人の新人王のその後についてお伝えします。
(全員抽出すると数が多すぎたのでランダムに抽出した25人としています)
1970年 佐藤道郎 南海ホークス
<新人王取得その後>
翌年の防御率は4.60で失速するも、その後復活。
最終的には実働11年で、通算防御率3.15 88勝69敗の成績を残した。
1970 谷沢健一 中日ドラゴンズ
<新人王取得その後>
新人王翌年は.260 16本と成績を向上させた。
その後中日ドラゴンズ一筋で活躍し、通算17年で.302 273本の好成績を残して引退した。
首位打者を2回獲得している名選手となった。
1972 加藤初 西鉄ライオンズ
<新人王取得その後>
翌年は4.16 8勝11敗と成績を落とした。
その後巨人へ移籍。二桁勝利を複数回記録し、最終的には通算141勝を挙げて引退した。
1974 三井雅晴 ロッテオリオンズ
<新人王取得その後>
翌年は防御率3.50で10勝を挙げる活躍を見せるも、その後低迷。
通算8年で29勝を挙げて引退した。
1976 田尾安志 中日ドラゴンズ
<新人王取得その後>
翌年は.276 6本とまずまずの活躍を見せた。その後西武⇒阪神と渡り歩き、
通算.288 149本 OPS.773の成績を残した。
引退後は東北楽天ゴールデンイーグルスの監督も務めた。
1977 佐藤義則 阪急ブレーブス
<新人王取得その後>
翌年は防御率3.62で13勝を記録。
最終的に実働21年で165勝137敗の好成績を残して引退した。
1979 藤沢公也 中日ドラゴンズ
<新人王取得その後>
翌年は防御率5.25 1勝とジンクスに陥った。
その後も活躍をすることなく、通算6年で引退。
1981 原辰徳 読売ジャイアンツ
<新人王取得その後>
翌年は.275 33本とさらに成績を向上させた。
長嶋茂雄の後釜として期待されていたが、通算15年で.279 382本の成績で引退した。
1982 大石大二郎 近鉄バファローズ
<新人王取得その後>
翌年は.287 10本 60盗塁と大活躍を見せる。
その後も近鉄バファローズ一筋で17年間活躍を続け、通算.274 148本 415盗塁と安定した成績を残した。
1986 清原和博 西武ライオンズ
<新人王取得その後>
史上最高の高卒新人として王貞治の868本越えを期待されたが、期待されたほどの成長はせず、「育成失敗」とまで言われた。
しかし通算500本を越えるホームランを放った一流選手である。
引退後は覚せい剤に手を出し、表舞台から姿を消した。
1987 荒井幸雄 ヤクルトスワローズ
<新人王取得その後>
翌年は.266 6本と少し調子を落としてしまう。
通算15年で爆発したシーズンはなかったが、安定した活躍を見せ、通算で.270 55本 276打点で引退となった。
1988 立浪和義 中日ドラゴンズ
<新人王取得その後>
高卒1年目で新人王を取得するが、2年目はジンクスに嵌り30試合の出場にとどまる。
しかし3年目にレギュラーを掴み、歴代最多の487二塁打のNPB記録を持つまでの打者に成長する。
通算は.285 171本 1037打点で、ミスタードラゴンズの一人である。
1990 野茂英雄 近鉄バファローズ
<新人王取得その後>
いわずと知れたメジャーリーグの開拓者。
社会人野球からプロ入りし、1年目からエース級の活躍をして新人王を取得した。
その後日本で5年プレーしたのちメジャーへ挑戦し、最多奪三振を2回受賞、ノーヒットノーラン達成など、数々の記録を作った。
1992 久慈照嘉 阪神タイガース
<新人王取得その後>
いわずと知れた守備の名手。2年目も.244と低調な成績を残したが、結局14年NPBでプレーし、通算811安打を記録している。
1994 藪恵市 阪神タイガース
<新人王取得その後>
阪神の暗黒時代のエース。新人王を受賞した翌年は2.98 7勝 13敗の成績を挙げた。
その後メジャーリーグへも挑戦。現在はタレントとしても活躍している。
1995 平井正史 オリックス・ブルーウェーブ
<新人王取得その後>
新人王を受賞した年がキャリアハイ。
1年目に肩を酷使しすぎたため翌年から投球のパフォーマンスが落ちた、
結局実働21年で63勝しか挙げることが出来ず引退している。
1997 澤崎俊和 広島東洋カープ
<新人王取得その後>
1年目に12勝を挙げるも翌年は防御率4.94と低迷し、それ以降もパッとした成績を残せず実働8年で引退。
1998 川上憲伸 中日ドラゴンズ
<新人王取得その後>
元祖中日ドラゴンズのエース。新人王を受賞した翌年は防御率4.44と低迷するが、
その後復活し最多勝を2回受賞しメジャーリーグへも挑戦した。
1999 上原浩治 読売ジャイアンツ
<新人王取得その後>
巨人からメジャーへ進んだ国際大会無敗の選手。
2年目からもエース級の活躍をし、メジャーでも大活躍したレジェンドピッチャー。
2001 大久保勝信 オリックス・ブルーウェーブ
<新人王取得その後>
2年目は3.95 10セーブと低迷。その後も2005年のみ防御率1.60の抑えとして輝きを見せたが、それ以外のシーズンは低迷。実働9年で引退となった。
2001 赤星憲広 阪神タイガース
<新人王取得その後>
2003、2005年と阪神を優勝に導いたスピードスター。
2年目以降も活躍し、盗塁を量産し続けた。
2003 和田毅 福岡ダイエーホークス
<新人王取得その後>
ホークスの黄金期を支えた変則左腕。
2年目以降も活躍し、メジャーリーグへも挑戦した。
2005 青木宣親 ヤクルトスワローズ
<新人王取得その後>
ヤクルトの安打製造機、2年目以降も毎年のように首位打者争いを演じ、その後メジャーリーグへも挑戦した。
2007 田中将大 東北楽天ゴールデンイーグルス
<新人王取得その後>
歴代最高クラスの怪物投手。高卒1年目で新人王を取得し、2年目以降もジンクスに嵌ることなく勝ち星を量産。
メジャー挑戦年には24勝0敗という大記録も樹立した。
⇒【プロ野球】過去本当にあった凄い記録、珍記録ランキング12
2008 小松聖 オリックス・バファローズ
<新人王取得その後>
圧倒的な成績で新人王を受賞したが、2年目以降は低迷。
復活の兆しを全く見せないまま実働10年で引退となった。
終わりに
NPBの新人王獲得者25人の成績とその後について調べました!
全体の印象としては、確かに2年目でジンクスに嵌ってしまう選手は多いのですが、過半数の選手はその後も活躍を続け、最終的には一流の成績で終わることが多い ということが分かりました。
なので、新人王を獲得した選手は大成する可能性が高いということが分かりました。
以上、レポートを終わります。